維新の里(近隣エリア)

維新の里(近隣エリア)
松陰神社
松陰神社はJR東萩駅から歩いて15分くらいの所にあります。明治23年(1890年)・松蔭の没後31年たってから建立されたものです。本殿は昭和30年(1955年)に建てられています。敷地内には松下村塾・松蔭幽囚の旧宅・花月楼が保存されており、吉田松陰歴史館があります。平成21年松陰先生殉節150年を記念して至誠館(宝物殿)が開館しました。
松陰神社
松下村塾
松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代後期の幕末に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾です。長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に、松陰の叔父である玉木文之進が天保13年(1842年)に設立し、松陰も学んでいます。
松下村塾
松蔭誕生地
団子岩と呼ばれる風光明媚な所で、天保元年(1830年)に萩藩士杉百合之助の二男としてこの地に生まれ、本名は矩方、通称寅次郎と呼ばれていました。

山鹿流兵学師範として毛利家に仕えていた吉田家を6歳の時に継ぎ、19歳で一人前の兵学師範となりました。その後、さらなる兵学修行のため、九州平戸、続いて江戸、東北地方への遊学の途につき、海外情報に関する見聞を広めました。特に、佐久間象山に師事し、西洋砲術と蘭学を学ぶにつれてその欲求はますます高まり、海外情勢を直接に知るため、海外密航を計画しました。ペリーの来航を好機と考え、弟子金子重輔とともに安政元年(1854年)3月28日、伊豆下田沖に停泊中の旗艦ポーハタン号に乗り込み、海外密航を懇願しましたが拒否されました。その後、獄中生活を余儀なくされ、安政6年10月27日、小塚原の刑場に劇的な一生を終えました。

現在は、建物の敷石と松陰産湯の井戸が残っており、当時の間取りを示す旧宅の敷石も後の住民の記憶により大正11年に復元したもので3畳の玄関に6畳2間、3畳2間と台所、それに別棟の納屋と馬屋という質素な建物でした。昭和20年に萩市に寄付され一部を市道に、他を公園にしました。昭和48年には明治維新100年を記念して、吉田松陰・金子重輔の銅像が建立されています。
松蔭誕生地
伊藤博文旧宅
木造茅葺き平屋建て、29坪の小さなもので、萩藩の中間水井武兵衛(のち伊藤直右衛門と改名)の居宅でしたが、安政元年(1854年)に博文の父林十蔵が一家をあげて伊藤家に入家し、ここに居住することになりました。国の史跡に指定されています。
伊藤博文旧宅
玉木文之進旧宅
木造茅葺き平屋建で、旧宅前に「松下村塾発祥之所」と刻んだ石碑が立っています。玉木文之進は吉田松陰の父杉百合之助の末弟で、文化7年(1810年)の生まれ、後に玉木家を継いだ。生来学識に優れ、天保13年(1842年)ここに松下村塾を開きました。この塾の名は、久保五郎左衛門を経て松陰が継承し、後世にまで知られるようになった。
玉木文之進旧宅
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